コミュ障営業マンが営業成績1位と社長賞をとるまでの物語




初めまして、タチバナと申します。

突然ですがあなたは、「親友は誰ですか?」と聞かれてパッと名前が出せますか?

僕の場合はすぐ思い浮かぶのは中学時代の親友、高校時代の親友、大学時代の親友の3人です。

親友意外にも、よくご飯を食べに行く友人や、離れて住んでいるけれどLINEでマメに連絡をとる友人、時間が合えば電話で長話をする友人など、有難いことに僕は友人に恵まれています。

友人が捕まらないときは、一人でバーに行ってマスターやお客さんに話しかけて、会話を楽しむこともあります。
初対面でも気にせずに話しかけて、話が盛り上がったら連絡先を交換することもあります。

こう聞くと、

「はいはい、コミュ力高い人ね」

と思われるかもしれませんが、僕は元々凄まじいコミュ障でした。

病的なほどの人見知り、しゃべってもすぐ噛んだりどもったりしてしまう吃音、人から嫌われたくないから言いたいことを言えない、迷惑だと思われるかもしれないという恐れから人に何かを頼めない、場の空気を読めない、人との距離の測り方がわからない…。
など、人付き合いがメチャクチャ苦手でした。

おまけに傷つくことが怖いので、仲がいい人としかしゃべれない超絶シャイ。
そして自分に自信がなく、プライドだけが高い根暗でネガティブな人間でした。

何か取り柄があれば自信がついたのかもしれませんが、別に凄く勉強ができるわけではないし、運動は全然ダメ。
家が金持ちでもない。
むしろその逆に近い。
しかもデブ。
メンタルも弱い。

小さい頃はしょっちゅうため息をついていました。

学校では孤立こそしませんでしたが、人から嫌われないよう常に周りの顔色を伺っていて、腹が立つようなことをされてもとにかく我慢する、そんな生活を送っていました。
人からイジられたり、嫌がらせを受けても笑ってやり過ごす。
内心ふざけんな、と思っていても、態度に出したらもっと酷いことをされるかもしれない、と自分の感情を押し殺してました。

今思えば人が怖かったんだと思います。

そして一番悩んだのが人間関係を構築することより、維持の仕方です。
1回話せても、2回目からどう接すればいいのか分からない。
挨拶だけで終わってしまう。
その後の話題が思い浮かばない、話が続かない、沈黙が怖い…。

辛い学生生活でしたね(笑)。

今思うと学生のときの悩みは、ほとんどが人間関係でした。
どうしたら人と上手く付き合っていけるのか、そのことで頭がいっぱいでしたね。

そんな超コミュ障だった僕がなぜコミュ上手にまでなれたのか。

話は子供時代までさかのぼります。

臆病で人見知りだった学生時代

僕は東北の田舎で2人兄弟の末っ子として生を受けました。
家族は祖父、祖母、父、母、兄で、ものすごい貧乏というわけでもなく、かといって裕福というわけでもない、ごくごく平凡な家庭で育ちました。

はた目には特に問題なんてないような家庭に見えていたかもしれませんが、実際は頭を抱えてしまうような大きな問題を抱えていました。

家族の仲が良くなかったのです。

まず、祖父と父の仲が険悪でした。
2人で話しているところをほとんど見たことがありません。
当然、祖父と母の仲も良くありませんでした。

祖母も母や兄の悪口を隠れて僕に言ってくる人でした。
自分の母親の悪口を言われると、子供としてはかなり心に来るのでしんどかったですね。

それだけならまだしも、両親も仲があまり良くなく、しょっちゅう口喧嘩をしていました。

まだ小さい子供が自分の親が喧嘩しているところを見ると、心が張り裂けそうになるんですよね。
めちゃめちゃいたたまれない気持ちになります。

夫婦喧嘩

極めつけは、僕と兄との仲も悪かったのです。
小さい頃はしょっちゅういじめられました(笑)。
お互い思春期に入ると、ほぼ口をきかなくなりましたね。
たまに二人でTVゲームをしても、お互い無言なのであまり楽しくなかったです。
おまけに切り上げ時がわからない。

こんな感じの家族でしたので、家の中の空気は常にギスギスしていました。
家族が揃う食事の時は気まずくてしんどかったことを覚えています。
祖父の空気を読まない発言にはイライラしました。

家の中で嫌味や怒鳴り声を聞いているせいか、学校にいるときも人から傷つけられないか常にビクビクしていました。

そんな背景があったので保育園の頃から誰かと遊ぶより、一人でアニメを見たりTVゲームをしたりしていることのほうが気が楽で好きでした。

小学生の時は見た目がデブで暗そうなので、下級生からもよくからかわれていました。
3年生の時、下校途中に下級生に2人がかりでかぶっていた野球帽を取られて、取り返すために永遠と追いかけて悔しくて情けない思いをしたことは忘れられません。

それでもありがたいことに、小、中、高と少ないながらも友達はできました。

部活に入ったり委員会活動をしたりしていくうちにコミュニケーションの経験が増えて、コミュ障がほんの少しづつ解消はされていきましたが、相変わらず初対面の人には話しかけられず、親しくない人とは何をしゃべったらいいか分からず、会話が下手くそでした。

特に女子と話すときは異常に緊張しました。
小さい頃は何も意識しないで話せましたが、思春期になるとどう接したらいいのか分からず、僕が自意識過剰なところもあって苦手になりました。
女子にキモイ、ダサい人間だと思われていないか常に心配でした。

コンプレックスもたくさんあったのでどうしても自分に自信が持てない。
どうやったらイケてる人間になれるのかファッション雑誌を読んだり、TVの情報番組を見たりして研究しました。
なので人目が気になってしょうがない、中身がない人間でしたね。

そんな人間だったので、折角彼女ができても長続きせず、すぐに別れてしまいました。
もっと彼女の意を汲み取れたり、楽しい話題を提供できたりすれば違っていたのかもしれません。

やがて高校を卒業すると、東京の大学へ進学しました。

そこでかなり困ったことになります。

高校までは地元の学校だったので昔からの友人が何人か必ずいたのですが、大学では完全に一人になってしまいました。
そう、一から友人を作らなければなりません。

ところが僕の進学先の大学はクラス制度がなく、友人を作るには非常に不利でした。

毎回顔を合わせるのは同じ講義を取っている人くらいですが、高校までと違って別に席が決まっているわけでもなく、また受講人数も多いのでターゲットを絞って誰かと仲良くなろうとするのは困難でした。

それでもコミュ力が高い人たちはやがてグループを作っていましたが、超絶シャイで人見知りの僕には難易度がとてつもなく高く無理でした。

結局、ここでも僕は話しかけて貰うのを待つスタイルをとってしまい、友達作りに出遅れてしまったのです。

こうなると大学ではほとんどぼっちになってしまっていて、昼食も一人で食べていました。
周りがグループでワイワイ楽しそうに食事をしているのに、僕は一人で黙々とものを口に運ぶ。
正直居場所がなくていたたまれませんでした。
その空気を味わうのが嫌で昼食を抜くこともしばしばありました。

秋頃に証明写真を取った時には頬がやつれてげっそりしていて、我ながら引きました。

学校って友達がいないと全く面白くないので、すぐに通うのが嫌になってしまいました。
人目もめっちゃ気にする性分だったので、変に神経をすり減らして1週間が終わるころにはよく体調を崩して熱を出していました。

孤独

学内に友達がいない状態があまりに辛かったので、当初は入るつもりがなかったサークルに入ることにしました。
そこでも人見知りを遺憾なく発揮してしまい、すぐには友達はできませんでした。

関東の人たちのノリについていけなくて、誰かがギャグを言って周りを笑わせていても僕は「え、今の何が面白いんだ?」とポカーンとしていることがよくありました。
中々距離感が縮められず、ここでも友達作りに手こずっていました。

でも飲み会やサークル活動を通じて、会えば軽い話をできる知人は段々できて、冬になるころには友達と呼べる親しい間柄の人たちもできました。

1年の夏休みに入ると金銭的余裕がない生活が少ししんどかったので、めっちゃ不安でしたがバイトも始めることにしました。

とりあえずレンタルビデオ店の面接を受けましたが、結果は不採用でした。

今となっては原因は分かっているので落ちて当然だな、と思いますが、当時は分からず相当ショックを受けました。
バイトの面接で落ちるなんて…と。

これで益々自信が無くなりましたね。

幸い住んでいた場所が東京なのでバイト募集は探せばいくらでもあります。
次はアパートから近いコンビニを受けました。

正直、感触は良くなかったですが、面接をしてくれた店長が男気のあるいい人で、未経験で自信がなさそうな僕をあえて採用してくれました。
育て甲斐がある、と。

実際働き始めると覚えることがありすぎて大変でした。
すぐにメモ帳がいっぱいになってしまいましたね。

僕はどんくさい人間なので何度もミスをしてしまい、初めて宅急便の受付をしたときは全然できてなくて、一緒にシフトに入っていたお店のオーナーから強めに叱られてしまいました。

そして特に困ったのが僕の吃音癖。
「ありがとうございました」がスムーズに言えずに、「あ、あ、ありがとうございました」と噛んでしまうのです。
噛まないように、噛まないようにと意識してしまうと余計噛んでしまいます。
普段が早口なので余計噛みやすいんですね。

そこでアパートで発声の練習をしたり、普段からゆっくりしゃべるようにして、かなり時間はかかりましたがなんとか改善できました。

アルバイト同士でレジに入るときも、お客さんが途切れた時は何を話せばいいか困りました。
明るい性格の人は話を拾ってくれるので話しかけかけやすく、向こうからも話しかけてくれるのですが、おとなしい人には話しかけてもすぐに会話が終わってしまうので間が持たなくてしんどかったです。

どんな話題なら喜んでくれるのかが分かれば手も打てるのですが、当時の僕にはそもそもそれを探ること自体が難しいのです。
あの時は沈黙が怖かったですね。早くお客さん来てくれーと願ってました(笑)。

全くしゃべってくれない人も困りましたけど、一方的にしゃべりまくってくる人にも困りました。
こっちがちょっと嫌そうな態度を取っていても感づかないで話を続けられるのです。
話が終わるころには僕はいつも疲れてました(笑)。

ほんと世の中には色んなタイプの人がいるんだな、ということを学べた場所でしたね。

そして大学3年生になると、僕にとってある意味転機とよべる出来事が起こります。

「あいつ空気読めねーよな」
「イタいよな」

僕が属していたグループの中で、僕がそう言われていることを知ったのです。

とんでもないショックを受けました。

今まで周りにかなり気を使い、なんとか嫌われないように生きていただけに、「嘘だろ!?」と思いました。

しかし確認すると、残念なことにそれは事実でした。
グループの女子たちになんか避けられるなー、と思ったのにはそういう訳があったのでした。

表面上は仲良く振舞っているくせに、裏では好き勝手言っている…。
ひょっとしたらあいつもそうなのか?あいつもか??と、僕はショックで人が信じられなくなってしまいました。

こうなると他人と関わるのが怖くなってしまい、人見知りに拍車がかりました。
それが行き過ぎて人間嫌いにまで発展して、人を大した理由もなく妬むようになりました。

この頃は今までの人生の中で最も荒んでいましたね。

ちょうど事件があったころから僕はダブルスクールをして、資格の予備校にも通い始めたのですが、豆腐メンタルの僕はすっかり精神がまいってしまい、勉強に集中できませんでした…。

勉強していてもフッと頭をよぎるんですよね。
それで頭をかきむしりたいような衝動に襲われる。

こんな状態で勉強の効率が上がるわけがありません。
朝から晩まで自習室で勉強しますが思うように進みませんでした。

落ち込む

ほどなくしてストレスから腰痛になり、整骨院に通う羽目になりました。
東京の真夏の灼熱地獄で、矯正のためのさらしを巻いて過ごすのは辛かったですね。

整骨院に通っても痛みは良くならず、腰から背中、ついには首にまで痛みが広がりました。
ストレス解消のためにランニングでもしたいところでしたが、ドクターストップがかかってしまってできませんでした。

結局4年生時の試験に落ちてしまい、就職浪人状態で実家に戻って勉強を続けることにしました。
東京から離れれば、あの人間関係のことも忘れられるだろう、という淡い期待がありました。

そして実家に引っ越して数週間。

確かに次第に大学の人間関係は忘れていきましたが、別の問題が浮上しました。

そう、今度は実家の人間関係です。

元々家族仲が悪い僕の実家が、さらに悪化していたのです。

具体的には祖父が年のせいかさらに面倒な人間になっていて、僕の両親とめっちゃ仲が悪くなっていました。
心もとないながらもフォロー役だった祖母は認知症になってしまっていて、家の中はありえないくらい空気が悪くなっていました。

そんな感じだったので、新たなストレスを抱えた僕はもう完全に疲れ果ててしまいました。

図書館に通って勉強を続けましたが、やはり勉強内容は中々頭に入ってこず、大学生の時と状況はほとんど変わりませんでした。

そして受験。

受かりませんでした。

もう勉強を続ける気力がなくなった僕は、東京に戻って就職活動をすることにしました。

一刻も早く実家から離れたかったんです。

ただ、2度も試験に失敗したことで僕は自信を完全に失っていました。

「俺、もう何やってもダメなんじゃ…」

「厳しい民間会社の世界で俺なんかが通用するのか?」

もう不安しかありませんでした。

強烈な洗礼を受けた社会人一年目

新卒でもない就職浪人状態での就職活動は難航を極めました。

大学生の時に就活していた友人たちと違って、僕はたった一人で就活しなくてはなりません。
学生課の支援も受けられないので、情報はほぼネットと求人誌だけ。

非常に心細く、不安な毎日でした。

それでもなんとかある会社に契約社員で滑り込むことができました。

しかし採用されたのは営業職。
友人からは「お前が営業なんて、自殺しちゃうんじゃないか(笑)」と言われましたが、僕自身も人見知りでコミュ障の自分に務まるとは到底思えませんでした。

その疑念は大当たりしました。
入社して1週間でもう辞めたくなりました。

ブラックな会社だったため、研修もなしにいきなり現場に放り出される

ビジネスマナーが分からないからお客さんから怒られる

仕事が中々覚えられなくて帰りが遅くなる

緊張と疲れで一日が終わるとグッタリして泣きそうになる

まさに地獄とはこのことだなと思いました。

一方、同期入社の同僚はコミュ力が高く、社会人経験もあって余裕があったのか楽しんで仕事をしていました。

「営業がこんなに楽しいとは思わなかった!」という彼のセリフに、

僕は内心(は?どこが!?)と悪態をついてました。

営業なのでコミュ障なんて言い訳は通用せず、毎日テレアポ(電話営業)をして、外出したら飛び込み営業もさせられました。

営業というのは言わば招かれざる客なので、営業先で冷たい態度を取られることも多々ありました。
そのたびに「人から嫌がられてまで、何でこんな仕事してんだ、俺…」と落ち込みました。

おまけにクレーム上等の本当にブラックな会社だったので、自分以外の社員の不始末や提供サービスの問題でお客さんから怒りの電話を受ける日々。
営業成績が悪いと当然上司から叱責される。

ブラック企業

「ダメだ、もう辞めよう。」
何度も思いました。

しかしそんな環境で歯を食いしばって1ヶ月、2ヶ月と過ごしていくうちに、知らず知らずのうちに初対面の人とも緊張せずに接することができるようになっていた自分に気づきました。

営業先での先輩のトークを必死にメモしたり、セールスマン向けのビジネス書籍を読んだりしているうちにビジネストークのセオリーが何となく分かってきたんです。

そうすると、初対面の人が相手でもそこそこ盛り上がれる会話ができるようになりました。
1,000本ノックのように毎日色々な人と接するので、相手の反応に敏感になりました。

相手がどんな言葉を欲しているか、今どんな心境なのか、そういうことがなんとなく読めるようになったんです。
それが分かれば、自分が取るべきベストな行動が自ずと導き出されます。

会話のツボというのが分かってきました。

そして就職して1年後。
所属チームの中で営業成績1位をとることができました。

その頃には自分でも驚くほどコミュニケーション能力が上昇していました。
どんな表情、声のトーン、態度で話せば、相手はこちらの話を受け入れやすくなるのか。
どんな話題が喜ばれるのか。
お願いするときのコツは…。
これらの知識やテクニックを身に着け、どんな人と接しても困らないレベルにまで成長できました。

「君ならなんの営業やっても通用するよ。」
途中からチームに加わった先輩からこう言われたときは本当に嬉しかったです。

大きな自信になりました。

その後僕は転職し、ITコンサルの営業に就きました。

営業と言えど、知識のないお客さんには軽いコンサルテーションも行う仕事です。
まさか自分がコンサルティングができる人間になれるとは思ってもいませんでした。

この会社では、売上に貢献したとして入社2年目に社長賞を受賞しました。
そして平社員から主任に昇格しました。

この年で役職に就いている人は僕の周りには1人もいなかったので、とても嬉しかったですね。
もちろん、給料もアップしました。

社長賞受賞

コミュ力が上がったことで大きく楽しく広がった人生

現在僕は地元に戻って、仕事も住まいも独立しています。

いい年なので周りの友人たちはもう結婚し、子供もいて忙しそうですが、年賀状を送りあったり、LINEで近況報告したり、時々食事や買い物をしたりして交友を続けられています。

両親、兄とも昔は仲があまり良くなかったのですが、現在は良好な関係を築けています。

母親は度々料理の差し入れを持ってきてくれますし、兄とはたまにLINEをします。
兄のお嫁さんも僕を可愛がってくれてます。
その子供の姪は僕にとても懐いてくれて可愛いです(笑)。
時々親のスマホからLINEでボイスメッセージを送ってくれます。

こんなに人間関係が良好な人生を送れるとは、昔の自分ではちょっと考えられないですね。

ここまでコミュニケーション能力を伸ばせたのは、以下のことが要因だと思います。

  1. 自分がコミュニケーション能力が低いという自覚を持っていた
  2. どこが問題か、ということを認識できていた
  3. 強制的に人と接しまくらなければいけない環境にあった
  4. 職場の上司から問題がある点を指摘してもらえた
  5. ビジネス書籍を読む習慣ができ、本から知識を得ることができた

特に3が大きく作用したと思います。
なぜなら、コミュニケーションは勉強やスポーツと同じで、知識を身に着けたら実際に試してみて、自身の感覚として身に着けるものだからです。
その実践の機会が毎日あったことは非常に恵まれていたと思います。

しかし、自信が持てるほどの力を得るまでに正直時間がかかりすぎてしまいました。

「何で学校でコミュニケーションについて教えてくれないんだ!」

「どうやってコミュニケーションを学べばいいんだ!」

過去の僕が常々思っていたことです。

だから、過去の僕と同じように悩んでいる人に対して、コミュニケーション術を教えてさしあげたい。
効率よく学んで、一日でも早く、楽しく人と関われるようになってほしい。

そんな思いでこのブログを立ち上げました。

僕自身、コミュ障のまま今の年齢まで年を重ねていたらと思うとゾッとします。

多分、友人たちとも縁が切れてネットやゲームを相手に孤独に過ごしていたことでしょう。
そんな人生、誰だって嫌ですよね?

人生は一度しかありません。
特に、10代、20代の頃はたくさんの楽しい経験ができる非常に貴重な時期です。
その時期に僕のようにコミュニケーションが上手くできなくて、悩んで悶々と過ごすのは非常にもったいないことです。

僕自身、あの頃に今のコミュ力があれば、人生変わっていたのになあ…、と思うことがあります。

学生時代に正しい人付き合いの仕方が分かっていれば、どんどん友達を増やして自分の世界を広げられたり、恋愛も楽しんだりと、変に人間関係に悩まずにエンジョイできたのになあ。
大学でぼっち飯をすることもなかったのです。

今ではコミュニケーションに関する本もそれなりに出ていますが、これらを読んだだけではコミュ障は治りません。
それで解決するならコミュニケーションで悩む現代人はいなくなります。

根本的な原因を正したり、サポートしてくれる存在がいたりしないと克服は難しいです。

何かを変えるには、行動するしかありません。

ここまで読み進めてくださったあなたは「変わりたい!」という強い意思があります。
それさえあれば一歩を踏み出すのは難しいことではありません。

あとは少しの勇気を出すだけです。

あなたも僕と一緒にコミュニケーション能力を磨いてみませんか?

このブログでは僕が今まで経験や書籍等から得てきた、コミュニケーション術のすべてが詰まっています。

何度も復習して、コミュ力を上げてください。

コミュ障は努力次第で治ります。

コミュ障を治して、友人に囲まれ、恋人を作り、二度とない人生を楽しめるようになりましょう!